梅ジャムで幸福論
昼間行った美容室で散々グーグー寝たので、
夜中の冴え冴えとした自分をもてあまし、梅ジャムの仕込みをしました。
パンを食べる習慣があまりないのに季節に踊らされて梅を買ってきてしまいます。
梅に限らず買ってきては後で慌てる。豆やらなんやら。
乾物が一番ひどいです。
以前も書いたような気がしますが、買い込んだ乾物をやっつけるために
年末の食卓はまっ茶色です。
毎年同じことをするので、ちったぁアホじゃねぇんかと思います。
梅酒は作りません。
家の中にアルコールがあると落ち着きませんもの。
あればあるだけ飲んでしまう。
飲んで飲んで飲まれて飲んでです。
ビールのストックなんて恐ろしくて出来ぬわ。
ジャム用の瓶を出したとき、戸棚の奥に見えたのが2本のワインです。
呑み助の私がもう何年と手をつけずに持っている、生まれ年のワイン。
赤、白のそれは人からもらったものです。
その方の吉報を風の噂に聞いたときに開けようと思い、ずっと仕舞っています。
他人の幸せを願うとき、自分がその人とその瞬間、関わっているかいないかは
極々瑣末のことではないかと思います。
人や物があることで得られる幸福というのは脆弱なものです。
物はいつか壊れ、
人とはいつか別れます。
そんな淡雪のようなものを心のよすがにするのはあまり薦めません。
「あんたが何かをなくして悲しむところをみたくないのさ!」です。
何故こういう話になるとハスっぱになるんだ、私は。
あさちゃん、はずかちーのかしら。
とにかく自分の中の幸せを見出せることが、一番長く幸せでいる方法でしょう。
距離はある。何かを持っているわけでもない。
でもたまに美味しいものが手に入ったら、会いに行って分かち合う。
会わなくてもあなたが幸せならそれでいいよ。
これが私の理想の対人観です。
美味しく出来たらあの人やあの人に贈りましょう。
自分が食べる予定のないジャム作りは、人の幸せを考える時間になりました。
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