世界が愛した日本

あさ

2009年03月01日 03:13

「世界が愛した日本」 四條たか子著 読了。

逆説の日本史の井沢元彦さんが監修をされています。
あの人、づるづるの坊主頭になったと思ったら、もう毛が生えてますね。
何とかなるもんだ。

日本が世界で愛されるきっかけとなった外交美談が7つ収められています。

しょっぱなから号泣ですよ。
一つだけ紹介させてください。


「今から48時間後、イランの上空を飛行するすべての飛行機を、イラク空軍の攻撃対象とする」
フセイン大統領のこの爆撃宣言を覚えておいでの方も多いのではないでしょうか。

イランに取り残された邦人200余名、迫り来るタイムリミット。一刻の猶予も許されない・・・。
残り時間僅か75分。誰もが希望を捨てかけたそのとき、
「救援機が到着しました!!」
港内のこのアナウンスに、どれほど安堵の涙を流したことでしょう。
一機の飛行機がテヘランのメヘラバード国際空港に着陸したのです。
月と星が鮮やかに輝くその機体は、日本人たちを乗せ飛び立ちました。


もうここまで号泣です。
月と星を冠する国、トルコと太陽の旗を持つ日本の物語です。

1890年、明治天皇の表敬訪問の特使一行を乗せ帰るエルトゥール号が、
本州最南端で有名な串本沖で、暴風雨のため岩礁に衝突し遭難するという事故が起こります。
死者518名という大惨事でしたが、なんとか命をつないだ69名。

おそらく外国人をはじめてみるであろう、地元樫野地区の住民は懸命に救助活動を行います。
暗闇の中、生存者を確認すると安全な場所へ移動させ、体温を冷たい海で奪われた彼らを
自分の服を脱ぎ抱いて暖めました。

そのころ折り悪く、天候不良が続きこの漁村にもそう食料は備蓄されていません。
それでも正月用に蓄えていた米、野菜、最後の鶏一羽までも人命救助に回しました。
最南端とはいえ冬を迎える寒い中、衣服、布団も差し出したのです。

このあとさらに美談は続きますが、ここまでの2国間の救助劇だけでもお伝えしたく書いてみました。
なんという佳話でしょうか。

テニアンでの救出談は、最初日本では政府もマスコミも
何故トルコの飛行機が助けに来てくれたのかわかりませんでした。
後になって元駐日トルコ大使がこう語ります。

「エルトゥール号における日本人の献身的な救助活動を、トルコ人は決して忘れていません。
今の日本人が知らないだけなのです」


トルコ人を助けたかつての日本人、十数年前日本人を助けたトルコ人。
彼らに恥じない生を送るのが、最低限の今の日本人の責務に思います。










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