蕎麦

あさ

2009年03月22日 00:10

今週末も蕎麦屋でお夕飯です。
もう「私の体は蕎麦で出来てるの」状態です。

私以外に客はなく、ご店主の趣味という60年代の洋楽が流れていました。
知っている曲があったり、なかったり。
古色然とした上がり框はしっかりと拭き清められています。
やっぱり居心地がいいなぁ。

例によって腹ぺこ顔をしていたのか、蕎麦を待ってる間にアイスクリームを頂戴しました。
オヤジ、ありがと。今年最初のアイスだったよ。

ザル一枚でお腹が膨れるので燃費がいいといったらないですね。
茹で上げたばかりの蕎麦は僅かに甘く、
これほど口に残らないたおやかなうま味はありません。

丁寧に引かれたと分かる出汁を贅沢に使ったツユも、
薬味で少し緊張した舌を緩めてくれます。

このように味わっても歌舞伎の「直侍」の直次郎よろしく、すっすっと食べあげてしまいます。
2,3分がいいところかなぁ。
ゆっくり食べたいときはダイ抜きとか、一品料理をお願いすればいいし。
蕎麦と寿司くらいは早くきれいに食べたいものです。

さらにここのお店は使っている器も感じがいい。
池波正太郎もどこかで書いていましたが、
もっさりとした民芸調の蕎麦猪口なんて出されたら、
薬味の葱より先にしなしなになってしまいます。

蕎麦猪口というと、中里恒子の「時雨の記」で
男が20年密かに想っていた女と再会し、

「貴女のそばにいたいから」

という意味を込めて(もちろんそれは言わない)、蕎麦猪口を贈るという描写がありました。
うーん、美しい。
それ以上に心に残っているのが、男が持ってきた海老の天ぷらにレモンをかけて云々というくだり。
所詮色気より食い気か。

(ちなみに私の好きな恋愛小説は、上記の「時雨の記」と川上弘美の「センセイの鞄」です。
「ワタクシはあと何年生きられるのでしょうか」で号泣。「漫画ゴラク」に於いて谷口ゴロでー漫画化されています。
一話以降見ていないのですが、その後続いているのでしょうか?)


最後に出される蕎麦湯も美味しく頂いて、幸せ気分のまま家路に着きました。
次はお銚子を傾けますかね。

神吉拓郎の「たべもの芳名録」で
友人たちと「ひとり蕎麦と独酌」について話しています。

「どこか人を拒否するところがある」
「そうそう、しかも昼酒とくると、おや、というところがあるよね」
「たとえば戦争を降りちゃった兵隊なんかこんな心境でしょう」
「土州浪人、なんのたれがし、故あって…という感じもあるな」
「いいいい、実にいい」

こんな話をしといて、このあとおっさん4、5人雀のように連れ立って、
水でびしょびしょのテーブルと、演歌歌手の色紙が無造作に貼ってある
蕎麦屋に行くんですから、仕様のない話です。

そうか、私は故ある土州浪人に見えるのか。専ら独酌よ。


上記諸々はもちろん、「一杯のかけそば」なんてのもありましたね。
蕎麦は何かと物語を絡め取る食べ物なのでしょう。

粉を練って、切って、茹でる。

この簡素さに精神性が宿るのかも知れません。
シンプルなものにこそ、深遠なる思想が宿るのね!
(酔ってると話がでかくなるなんて、おっさんか私は)


また蕎麦は縁起を踏まえた慣習が多いことからも伺える通り、
五臓六腑の汚れをとる清めの食べ物でもあるそうです。

美味しいやら清められるやら、良いこと尽くめの蕎麦ですが、
唯一の難点。

お腹がすぐ空いちゃう。



うう、今から何か食べるというのか。

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