2011年01月04日
たった独りの引き揚げ隊
「たった独りの引き揚げ隊 -10歳の少年、満州1000キロを征く- 」 石村博子 読了
去年一番人に勧めた本です。
サンボの生ける神と言われるビクトル古賀さんの満洲からの引き揚げの体験談。
サンボというのはロシアの格闘技で、その成り立ちにはあの広瀬武夫の影響もあったと言われています。
ビクトル氏は41戦すべて一本勝ちという偉業と成し遂げ
ソ連からは数多の賞を授与し、その名は遠く旧東欧圏まで響き渡り、
後進も多く育ててらっしゃいます。
ですが彼は自分の人生で輝いていたのは10歳、11歳の頃だと言います。
日露ハーフのビーチャ(ビクトル君の愛称。これがあるからロシア文学は辛い)は
コサック最後の子どもとして祖父からコサックの教育を受けます。
世界最強と言われたコサック近衛騎兵の一族の長である祖父からの薫陶と自然、
そして丈夫な体と信仰心が彼を満洲から日本まで導いてくれたました。
時に日本人から露助の子どもと言われ、引き揚げ隊から爪弾きにされても
途中途中に横たわる死体に十字を切り、虫が湧くのを少しでも遅らせるようにうつぶせに寝かしてやり
その遺体から靴を拝借して、太陽の位置を頼りに一人ひたすら道を進みます。
ざっくり書くと10歳の男の子の身に降りかかるには
あまりに酷な運命で胸が潰されそうですが、
これは読むと印象がまるで違うんですよ。
ビーチャの命の力の強さが暗さを一掃します。
ビクトル氏の語り口も軽やかで悲壮感がなく冒険譚のようです。
ばてると落ち込み、落ち込むと生命力が弱る事を分かっているビーチャは
たくさんのロシアの歌を歌いながら陽気に荒野を歩きます。
本の中で紹介されているコサックの子守歌は後にアメリカのフォークシンガー、ピート・シーガーが
「花はどこへ行った」のタイトルで歌い、世界中に広まったそうです。
水場を探し、野宿の際は天候と急激な温度差に気をつけ、馬糞や草で虫を除け
一路日本を目指すビーチャに空腹で苦しんだ記憶はありません。
「流れる星は生きている」をはじめ、引き揚げに関する本の中で
これほど特異なことがあるでしょうか。
そのうち調達できるはずという自信と気楽さをビーチャは持っていました。
食べ物を自分で調達できる人間というのは本当に頼もしい。
ビーチャの冒険もですが、コサックの歴史とその終焉を知るのにおいても良書と言えます。
私に子どもが出来たらこの本を読ませてあげたいなぁ。
で、もうちょっと大きくなったら「銃・病原菌・鉄」を渡しとくか。
あれ?まるで予定はないのに想像したらえらい楽しいじゃなイカ!!
(そのうちゲソゲソ言い出すんだわ、私の子どもなら…)
何回読み返したかわかりませんが、読むたびに腹筋の回数が増えます。
今夜も寝る前にざっと読むか。
私も「太陽が一個、ナイフが一本。それさえあれば、生きて、歩ける」と言えるぐらいの
身体と心と知識を持てるように生きていきたいです。
あと、生きていくのにやはりそう物はいらんな!!と
…いかん。またビョーキが。
只今のBGMは Led Zeppelin の「移民の歌」
あ、今マイケル・ナイマンの「ピアノレッスン」になった。
今年のニューイヤーオペラコンサートは最初の方逃したのでパスしちゃった。
年末の第九は聴けたからよしとするか。
去年一番人に勧めた本です。
サンボの生ける神と言われるビクトル古賀さんの満洲からの引き揚げの体験談。
サンボというのはロシアの格闘技で、その成り立ちにはあの広瀬武夫の影響もあったと言われています。
ビクトル氏は41戦すべて一本勝ちという偉業と成し遂げ
ソ連からは数多の賞を授与し、その名は遠く旧東欧圏まで響き渡り、
後進も多く育ててらっしゃいます。
ですが彼は自分の人生で輝いていたのは10歳、11歳の頃だと言います。
日露ハーフのビーチャ(ビクトル君の愛称。これがあるからロシア文学は辛い)は
コサック最後の子どもとして祖父からコサックの教育を受けます。
世界最強と言われたコサック近衛騎兵の一族の長である祖父からの薫陶と自然、
そして丈夫な体と信仰心が彼を満洲から日本まで導いてくれたました。
時に日本人から露助の子どもと言われ、引き揚げ隊から爪弾きにされても
途中途中に横たわる死体に十字を切り、虫が湧くのを少しでも遅らせるようにうつぶせに寝かしてやり
その遺体から靴を拝借して、太陽の位置を頼りに一人ひたすら道を進みます。
ざっくり書くと10歳の男の子の身に降りかかるには
あまりに酷な運命で胸が潰されそうですが、
これは読むと印象がまるで違うんですよ。
ビーチャの命の力の強さが暗さを一掃します。
ビクトル氏の語り口も軽やかで悲壮感がなく冒険譚のようです。
ばてると落ち込み、落ち込むと生命力が弱る事を分かっているビーチャは
たくさんのロシアの歌を歌いながら陽気に荒野を歩きます。
本の中で紹介されているコサックの子守歌は後にアメリカのフォークシンガー、ピート・シーガーが
「花はどこへ行った」のタイトルで歌い、世界中に広まったそうです。
水場を探し、野宿の際は天候と急激な温度差に気をつけ、馬糞や草で虫を除け
一路日本を目指すビーチャに空腹で苦しんだ記憶はありません。
「流れる星は生きている」をはじめ、引き揚げに関する本の中で
これほど特異なことがあるでしょうか。
そのうち調達できるはずという自信と気楽さをビーチャは持っていました。
食べ物を自分で調達できる人間というのは本当に頼もしい。
ビーチャの冒険もですが、コサックの歴史とその終焉を知るのにおいても良書と言えます。
私に子どもが出来たらこの本を読ませてあげたいなぁ。
で、もうちょっと大きくなったら「銃・病原菌・鉄」を渡しとくか。
あれ?まるで予定はないのに想像したらえらい楽しいじゃなイカ!!
(そのうちゲソゲソ言い出すんだわ、私の子どもなら…)
何回読み返したかわかりませんが、読むたびに腹筋の回数が増えます。
今夜も寝る前にざっと読むか。
私も「太陽が一個、ナイフが一本。それさえあれば、生きて、歩ける」と言えるぐらいの
身体と心と知識を持てるように生きていきたいです。
あと、生きていくのにやはりそう物はいらんな!!と
…いかん。またビョーキが。
只今のBGMは Led Zeppelin の「移民の歌」
あ、今マイケル・ナイマンの「ピアノレッスン」になった。
今年のニューイヤーオペラコンサートは最初の方逃したのでパスしちゃった。
年末の第九は聴けたからよしとするか。
2011年01月03日
谷さん
去年一番驚いたことはやはり谷さんのご逝去です。
夏に図書館にいると知り合いがたまたま来て教えてくれました。
その後続く谷さんの特番。
美の壷では「盆栽」の回を再放送してくれました。
良回の一つです。
満月の絵のお軸を背に、枝ぶりのいい梅の盆栽が出たところで少し泣きました。
少し説明しづらいのですが、私の中では脈絡のある涙なのです。
しばらくして「アバンティ」で谷さんが出た回の総集編を聴いたり、
親友でらっしゃる犬塚さんが出ておいでの映画、「ふたたび」を見て
小さくそのご冥福をお祈りしておりました。
今月号の「サライ」では犬塚さんが谷さんの思い出と共に「ガチョーン伝説」というCDを
紹介されています。私も買っておこう。
この号の「朝飯自慢」はジャズシンガーの伊藤君子さんでした。
彼女の名曲の一つ「Follow Me」の一番みたいなところが人間の想像が及びつく最高の
天国なのかもなぁと思ってみたりしています。
もー。
ただでさえ、アランフェス協奏曲は泣きのナンバーだってのに。
さらに去年は大野一雄さん、小室直樹さんもお亡くなりになっているんですよね。
このお二方もなんとなく死なない人だと思ってたので(わかるでしょ?!)
本当に命は有限なのだなぁと改めて思い知らされました。
夏に図書館にいると知り合いがたまたま来て教えてくれました。
その後続く谷さんの特番。
美の壷では「盆栽」の回を再放送してくれました。
良回の一つです。
満月の絵のお軸を背に、枝ぶりのいい梅の盆栽が出たところで少し泣きました。
少し説明しづらいのですが、私の中では脈絡のある涙なのです。
しばらくして「アバンティ」で谷さんが出た回の総集編を聴いたり、
親友でらっしゃる犬塚さんが出ておいでの映画、「ふたたび」を見て
小さくそのご冥福をお祈りしておりました。
今月号の「サライ」では犬塚さんが谷さんの思い出と共に「ガチョーン伝説」というCDを
紹介されています。私も買っておこう。
この号の「朝飯自慢」はジャズシンガーの伊藤君子さんでした。
彼女の名曲の一つ「Follow Me」の一番みたいなところが人間の想像が及びつく最高の
天国なのかもなぁと思ってみたりしています。
もー。
ただでさえ、アランフェス協奏曲は泣きのナンバーだってのに。
さらに去年は大野一雄さん、小室直樹さんもお亡くなりになっているんですよね。
このお二方もなんとなく死なない人だと思ってたので(わかるでしょ?!)
本当に命は有限なのだなぁと改めて思い知らされました。
2011年01月03日
回顧2010 其の1
好きな温泉が出来ました。
平家落人伝説の塚があるくらいなので秘湯と言えないこともない。
春は桜を愛で、夏は雨音に耳を澄まし
秋の枯れ葉に物憂いて、冬の冷気を窓の外に感じつつ…
温泉サイッッコォォォォォオオオ!!!
大分に住んでいる者のこれ以上の役得がありましょうか。
食べ物は美味しいし、いいところに住んでるよなぁ。
この温泉に行くときはいつも途中のスーパーに寄って(コンビニなどないわ)
入口に置いてある水槽のどんこやメダカにご機嫌伺いをして
飲み物を買っておきます。山あいの地区なので鹿肉、猪肉、
季節になると名産の栗を使った栗大福もあり地域色豊かなスーパーです。
海の近くに住む者には山のスーパーでも十分レジャー施設なのですよ。
お服も売っているのよ!野良着とか言うな!!
ちゃんと舗装した道の先にあるので、安心して向えるのですが
何様山を登るのであまり知っている方も少なく毎回貸切です。
どうかしたら人間より鹿の目撃回数の方が多いような気がします。
冬のはしりに行ったときは温泉手前の石橋から
岩の上に鹿の皮が干してあるのを見ました。
穴も開けず上手く割いてたなぁ。
人が少ないのもよいですが、ここはその清潔さが気持ちいいのです。
立ち込める湯気が、窓からの光の筋の中で揺らぐ様まで美しい。
施設としてはそう新しくもありませんし、広い湯船ということもないのですが、
来客数日が10人前後の中でも行き届いた掃除をされる従業員の方(一人)の
お心映えがそのまま表れているかのようです。
そうなると入る側のマナーも向上するというもので、
この場の美しさを維持しようと努めます。
良い連鎖ですね。
お風呂上りに地元のお茶も入れて下さいますし、
休憩室に置いてある江川達也の日清戦争もとい日露戦争物語が途中までしか
置いてないというのもよくわかってらっしゃる。
浴室の窓を開ければ眼下に清流が流れ、
季節ごとに色を変える木々を見ているだけで時間がたちます。
一番長く入っていた時は手嶋龍一さんの「スギハラ・ダラー」を持ち込んで
湯船で読んでいたときでしょうか。
やりたい放題です。
ちなみに直筆サイン入りの頂き物。フッフフ。
羨んでいただこうか!
今年も温泉と言ったらおそらくここ一辺倒のような気がします。
もうひとつ好きなのですが、遠くて行くだけで一日仕事になってしまう温泉があります。
全国から登山客が訪れる大崩山(こわいね)を臨みつつお湯を楽しめます。
山幸彦の産湯に使われた川の名を冠する温泉で、
ましてや「美人の湯」とつけばそりゃ行くがな!
山を越えても行くがな!!
(本当に山やら県境やら越えねばならん険阻な道)
去年は一度しか行けませんでしたが、大変よいお湯でした。
上がったあと休憩室で広瀬武夫の本を読んでいると
「白瀬中尉ですか?」中年の男性にと声を掛けられました。
広瀬と白瀬を間違える人がいるというのは何所かで読んだ覚えがありましたが、
本当にいるんだなぁと思いつつ丁寧に訂正させていただきました。
ですが広瀬より先に、白瀬矗の名が出てきたのも無理からぬことで
この方は白瀬所縁の土地にお生まれになったとのことでした。
この日は登山にいらしたということで、おみ足の痛々しさがまだ記憶に残っています。
その後お蕎麦を食べて
「家を出る前にがっつり掃除もしたし、風呂にも浸かった。これで蕎麦とはまさに清めの1日よな」
と満足しきりでした。
帰りにお土産コーナーをうろうろすると、この温泉オリジナルの石鹸発見。
説明書を読むと何やらよさげなので買おうと思いお財布を捜すと、
長財布は家に置いてきたことが判明。
小銭入れに入れていたお金だけで
よくこの日1日賄えたなとほっとしたり呆れたり。
石鹸は次の、と言うより今年の楽しみにしたいと思います。
…正直よく無事に帰れたなと、思い出すと冷や汗をかきます。
今年はこの迂闊さも改めねばな、あさちゃんよ。
平家落人伝説の塚があるくらいなので秘湯と言えないこともない。
春は桜を愛で、夏は雨音に耳を澄まし
秋の枯れ葉に物憂いて、冬の冷気を窓の外に感じつつ…
温泉サイッッコォォォォォオオオ!!!
大分に住んでいる者のこれ以上の役得がありましょうか。
食べ物は美味しいし、いいところに住んでるよなぁ。
この温泉に行くときはいつも途中のスーパーに寄って(コンビニなどないわ)
入口に置いてある水槽のどんこやメダカにご機嫌伺いをして
飲み物を買っておきます。山あいの地区なので鹿肉、猪肉、
季節になると名産の栗を使った栗大福もあり地域色豊かなスーパーです。
海の近くに住む者には山のスーパーでも十分レジャー施設なのですよ。
お服も売っているのよ!野良着とか言うな!!
ちゃんと舗装した道の先にあるので、安心して向えるのですが
何様山を登るのであまり知っている方も少なく毎回貸切です。
どうかしたら人間より鹿の目撃回数の方が多いような気がします。
冬のはしりに行ったときは温泉手前の石橋から
岩の上に鹿の皮が干してあるのを見ました。
穴も開けず上手く割いてたなぁ。
人が少ないのもよいですが、ここはその清潔さが気持ちいいのです。
立ち込める湯気が、窓からの光の筋の中で揺らぐ様まで美しい。
施設としてはそう新しくもありませんし、広い湯船ということもないのですが、
来客数日が10人前後の中でも行き届いた掃除をされる従業員の方(一人)の
お心映えがそのまま表れているかのようです。
そうなると入る側のマナーも向上するというもので、
この場の美しさを維持しようと努めます。
良い連鎖ですね。
お風呂上りに地元のお茶も入れて下さいますし、
休憩室に置いてある江川達也の日清戦争もとい日露戦争物語が途中までしか
置いてないというのもよくわかってらっしゃる。
浴室の窓を開ければ眼下に清流が流れ、
季節ごとに色を変える木々を見ているだけで時間がたちます。
一番長く入っていた時は手嶋龍一さんの「スギハラ・ダラー」を持ち込んで
湯船で読んでいたときでしょうか。
やりたい放題です。
ちなみに直筆サイン入りの頂き物。フッフフ。
羨んでいただこうか!
今年も温泉と言ったらおそらくここ一辺倒のような気がします。
もうひとつ好きなのですが、遠くて行くだけで一日仕事になってしまう温泉があります。
全国から登山客が訪れる大崩山(こわいね)を臨みつつお湯を楽しめます。
山幸彦の産湯に使われた川の名を冠する温泉で、
ましてや「美人の湯」とつけばそりゃ行くがな!
山を越えても行くがな!!
(本当に山やら県境やら越えねばならん険阻な道)
去年は一度しか行けませんでしたが、大変よいお湯でした。
上がったあと休憩室で広瀬武夫の本を読んでいると
「白瀬中尉ですか?」中年の男性にと声を掛けられました。
広瀬と白瀬を間違える人がいるというのは何所かで読んだ覚えがありましたが、
本当にいるんだなぁと思いつつ丁寧に訂正させていただきました。
ですが広瀬より先に、白瀬矗の名が出てきたのも無理からぬことで
この方は白瀬所縁の土地にお生まれになったとのことでした。
この日は登山にいらしたということで、おみ足の痛々しさがまだ記憶に残っています。
その後お蕎麦を食べて
「家を出る前にがっつり掃除もしたし、風呂にも浸かった。これで蕎麦とはまさに清めの1日よな」
と満足しきりでした。
帰りにお土産コーナーをうろうろすると、この温泉オリジナルの石鹸発見。
説明書を読むと何やらよさげなので買おうと思いお財布を捜すと、
長財布は家に置いてきたことが判明。
小銭入れに入れていたお金だけで
よくこの日1日賄えたなとほっとしたり呆れたり。
石鹸は次の、と言うより今年の楽しみにしたいと思います。
…正直よく無事に帰れたなと、思い出すと冷や汗をかきます。
今年はこの迂闊さも改めねばな、あさちゃんよ。
2011年01月03日
去年の正月・今年の正月
昨年も良い年でした。
もう捨てましたが去年の手帳には楽しかったことばかり書いておりました。
2月のページに男名前を書き連ねてたし。
甘太さん甘太さんって。
やたら貰ったのよね甘太さん。 甘藷もとい感謝。
一昨年の大晦日は森繁久弥の「サラリーマン忠臣蔵」を見ながらここに書いて、
ふわふわするのは酒のせいなのか、
動く柳家金語楼を見れたからなのか判然としなかったのですが
日も暮れてから自分は風邪であるということに気がついて
慌てて暖房器具と葛根湯を買いに行きました。
風邪っぴきで正月を迎えるなんて初めてでしたよ。
そのお陰かどうかはわかりませんが、その後一年まったく病気怪我はありませんでした。
それと思ったより体の弱りに心が追従しなかったので、
これは自分の強さが特別だというのを常に意識していないと
弱っている人の心に添うことが出来ない人間になるぞと戒めを新たにしました。
しかし葛根湯って美味しいですね。
口に含むとしばらく飲み込まなくてもいいかなと思うくらい(←風邪で思考力が低下している)
あの甘苦さがいい。
聡明で甘い物好きのお年寄りを齧ったらあんな味じゃないかしら?
新年早々、うちのお祖父さん生命の危機。
病身でなくても食べられる、あの味に近い食べ物ってないのかなぁ。
葛の根齧ったらあの味がするのかのぅ。
暖房器具はさらに一年前、壊れた時に
「このまま頑張ったら『寒さに強いあさちゃん』に会えるんじゃなくて?!」
と思って買わずにいたのですがダメでした。
それで風邪を引いてるんですから世話ありません。
それでも2月の奇跡的に暖かかったある日に片付けちゃいましたけどね。
したらこの年の3月4月が寒いのなんの!
忘れきらんわ!
あの寒さの記憶があったので、今年の猛暑はぶーたれずに過ごせました。
そんなわけでなぜか『暑さに強いあさちゃん』に会えました。
人間万事塞翁が馬よな。
おかげでまったく人と会わずに一年を迎えた2010年でしたが、
癖がついたのか今年も人と会わずに正月を迎えています。
これはこれで清閑なお正月。
昨日某美術館に行って案内してもらった学芸員さんと話したきりです。
ここには去年6月河野隆氏の篆刻展を見に行きました。これもよかった。
昨日はとんでもなく贅沢なことに完全貸切の中、三彩器や景徳鎮をたっぷり観賞しました。
正に目の正月です。
特に鈞窯の澱青釉壺の前に暫く張り付いていました。
雨過天青に吾身を映すこの華侈の極み。
今年もいい一年になりそうだなぁ。
※甘太さん…大分県が新たに誇る高糖度甘藷。正式名称「甘太くん」。あまりの美味しさにさん付け。
ワタクシ食べ物でさん付けするのは彼とマロニーさんだけよ。その位美味しい。
もう捨てましたが去年の手帳には楽しかったことばかり書いておりました。
2月のページに男名前を書き連ねてたし。
甘太さん甘太さんって。
やたら貰ったのよね甘太さん。 甘藷もとい感謝。
一昨年の大晦日は森繁久弥の「サラリーマン忠臣蔵」を見ながらここに書いて、
ふわふわするのは酒のせいなのか、
動く柳家金語楼を見れたからなのか判然としなかったのですが
日も暮れてから自分は風邪であるということに気がついて
慌てて暖房器具と葛根湯を買いに行きました。
風邪っぴきで正月を迎えるなんて初めてでしたよ。
そのお陰かどうかはわかりませんが、その後一年まったく病気怪我はありませんでした。
それと思ったより体の弱りに心が追従しなかったので、
これは自分の強さが特別だというのを常に意識していないと
弱っている人の心に添うことが出来ない人間になるぞと戒めを新たにしました。
しかし葛根湯って美味しいですね。
口に含むとしばらく飲み込まなくてもいいかなと思うくらい(←風邪で思考力が低下している)
あの甘苦さがいい。
聡明で甘い物好きのお年寄りを齧ったらあんな味じゃないかしら?
新年早々、うちのお祖父さん生命の危機。
病身でなくても食べられる、あの味に近い食べ物ってないのかなぁ。
葛の根齧ったらあの味がするのかのぅ。
暖房器具はさらに一年前、壊れた時に
「このまま頑張ったら『寒さに強いあさちゃん』に会えるんじゃなくて?!」
と思って買わずにいたのですがダメでした。
それで風邪を引いてるんですから世話ありません。
それでも2月の奇跡的に暖かかったある日に片付けちゃいましたけどね。
したらこの年の3月4月が寒いのなんの!
忘れきらんわ!
あの寒さの記憶があったので、今年の猛暑はぶーたれずに過ごせました。
そんなわけでなぜか『暑さに強いあさちゃん』に会えました。
人間万事塞翁が馬よな。
おかげでまったく人と会わずに一年を迎えた2010年でしたが、
癖がついたのか今年も人と会わずに正月を迎えています。
これはこれで清閑なお正月。
昨日某美術館に行って案内してもらった学芸員さんと話したきりです。
ここには去年6月河野隆氏の篆刻展を見に行きました。これもよかった。
昨日はとんでもなく贅沢なことに完全貸切の中、三彩器や景徳鎮をたっぷり観賞しました。
正に目の正月です。
特に鈞窯の澱青釉壺の前に暫く張り付いていました。
雨過天青に吾身を映すこの華侈の極み。
今年もいい一年になりそうだなぁ。
※甘太さん…大分県が新たに誇る高糖度甘藷。正式名称「甘太くん」。あまりの美味しさにさん付け。
ワタクシ食べ物でさん付けするのは彼とマロニーさんだけよ。その位美味しい。
2011年01月03日
謹賀新年
明けましておめでとうございます。
穏やかな天候に恵まれた佐伯市で新年を寿いでおります。
ちなみに新年最初の大声は、正雄の甥に麒麟のええ声さんが出たことです。
「えぇ?!」 って言ったよ。
いや、男前さんなおじ甥コンビですけど。
今年も黒豆が美味しく出来ました。
今も飲みながらつまんでおります。
このねっとりとした食感がよろしい。
私の中の豆炊きババアは未だ衰え知らずです。
否、老いてなお益々盛ん。
年々ガサツな作り方になってきているのに、年々美味しくなります。
これが年を重ねる(=経験を積む)ということなのでしょうか。
正月に思う年をとる喜び。
まことによい年の始めです。
只今のBGMは山崎ハコの「きょうだい心中」です。
サイトウキネンオーケストラのマーラーの次がこれか。
♪わしとあなたはきょうだいの仲ぁぁぁぁ
正月早々絶唱。
あさちゃんは今年も通常運行のようね。うふふ。
※きょうだい心中・・・滋賀に伝わる歌を基にしたとされる。詳しくは久世光彦の「花迷宮」参照のこと。
向田邦子との思い出話などもあり。でも滋賀でこういう話だと兄妹より叔父姪(雄略天皇の皇子とその姪)の
方が先に浮かぶがなぁ。
穏やかな天候に恵まれた佐伯市で新年を寿いでおります。
ちなみに新年最初の大声は、正雄の甥に麒麟のええ声さんが出たことです。
「えぇ?!」 って言ったよ。
いや、男前さんなおじ甥コンビですけど。
今年も黒豆が美味しく出来ました。
今も飲みながらつまんでおります。
このねっとりとした食感がよろしい。
私の中の豆炊きババアは未だ衰え知らずです。
否、老いてなお益々盛ん。
年々ガサツな作り方になってきているのに、年々美味しくなります。
これが年を重ねる(=経験を積む)ということなのでしょうか。
正月に思う年をとる喜び。
まことによい年の始めです。
只今のBGMは山崎ハコの「きょうだい心中」です。
サイトウキネンオーケストラのマーラーの次がこれか。
♪わしとあなたはきょうだいの仲ぁぁぁぁ
正月早々絶唱。
あさちゃんは今年も通常運行のようね。うふふ。
※きょうだい心中・・・滋賀に伝わる歌を基にしたとされる。詳しくは久世光彦の「花迷宮」参照のこと。
向田邦子との思い出話などもあり。でも滋賀でこういう話だと兄妹より叔父姪(雄略天皇の皇子とその姪)の
方が先に浮かぶがなぁ。