2009年06月14日

炭鉱太郎がきた道

七尾和晃氏著 「炭鉱太郎が来た道」 読了

まずは己の運の良さを讃えたい。
「銀座の怪人」を最初に読んで、「炭鉱太郎が来た道」で締めることが出来たこの天佑。
私は酒の神と本の神には間違いなく愛されています。
(夜通し飲むときは「神の雫」よろしく、「目覚めよ、私の中のバッカス!!」て言ってから飲みます。ばかですね)

日本の近代を支えた炭鉱夫(炭鉱太郎)たち。
彼らはどこからやってきて、どこへ消えたのか。
何者でもなかった無名の人々の、確かにあった人生を辿るルポタージュです。

始まりは炭鉱離職者に交付された「黒い手帳」の軌跡追うものです。
石炭から石油へ移行していった日本のエネルギー産業を地の底から支え、
やがて去っていた男達はかつて何を思い、今何を思うのか。

「誰でも人生で一冊は小説が書ける」
なんて言葉がありますが、有名、無名を問わず人はドラマチックで悲哀と喜びに満ち満ちた人生があります。
その人生を敬い、筆に墨をし白けき紙を埋めることのなんと尊いことでしょう。


「人間に乗って文化は育まれ、そして移っていくという、当たり前のことを(略)」
著者ご本人から頂戴した言葉です。(ありがたいことですね)
これが氏のご本の根底にあるテーマであることは、その筆力の確かさから如実に伝わります。

氏はこのテーマを産業、政治、経済、民俗学他その底なしの知識と行動力を持って表現されてますが、
どちらかというと、よりフォークロア寄りの興味が尽きない私としては、
第3章「逆光のなかの『山の神』 第4章「ヤマに消えたキリスト」 第5章「忘れられた西の果て」で
頭に血が集まってしまいました。

どうも「漂泊の民」「山人」「道々のもの」「安曇」「たたらもの」「サンカ」他、
「通り過ぎる人」に憧れともつかないような思いがあります。

ところがここで「万世一系に纏ろわぬ者」というキーワードが入る本は
途端にその人の営みの描写の精彩を欠き、カロリー豊富とは言い難い(てへ)物が多いのです。
いや、もちろん万書に通じるわけでもないので
たまたまハズレを引いてきただけかもしれませんが。

やはり学問とイデオロギーは別掲にしてしかるべきではないかなぁと思います。
一緒くたは人を傷つけることが多いよ。


それでいくと宮本常一の誠実なフィールドワークを基とする著作は
優れた学術書であり、読む者の善なる心を喚起させる文学的作品でもあります。
洋の東西を問わないならば、レヴィ・ストロースも同様といえるでしょう。
「宮本常一とレヴィ・ストロースが一緒って、お前どんな読み方してんだ」
と言われそうですが。
良書であることと、テーマの派手、地味は関係ないわ。

そして平成の御世、この系譜は七尾氏に継がれていると信じております。
きっときっと、さらなる大著を著され、「炭鉱太郎」引用されていた「忘れたれた日本人」
「塩の道」「悲しき熱帯」「野性の思考(三色スミレ)」と共に称されるのです。

ふふふ。さらに追い詰めてみました♪
どうかどうか筆を折らないでくださいましね。
エピローグ最後の2行は、私の数年後の「自分史上最高の読書体験」を約束してくださる
お言葉として拝読いたしました。
「銀座の怪人」2つめのコメントで不穏なことお書きになるんですもの。

さらなるご活躍をお祈りしつつ、「炭鉱太郎」をはじめ(入手可能な限りの)著作5冊を
世に出してくださいましたことへの感謝をここに申し上げたいと思います。


ありがとうございました。



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Posted by あさ at 01:22│Comments(3)
この記事へのコメント
いやはや、この書を読み解く端緒にも存在してない自分・・・
発注は済ませましたのでこの本だけは届く模様。
あさちゃんのフォークロア的部分に関しては、興味はあれど柳田国男すら読んだ事が無いゆえ、いずれ生業を離れることができたらゆっくりと話しを聞かせて下さい。
Posted by タロー at 2009年06月14日 01:47
タロー様

太郎繋がりのご本です。実り多い読書の時間をお過ごしください。

「忘れられた日本人」と「遠野物語」を読めば上等ですよ。
岩波文庫は廉価で良書を提供してくれてありがたいことです。

私のフォークロア的部分ですか。
そこらの酔って管巻いてるおっさん掴まえて、おっさんのフォークロア的部分を聞いてください。
だいたい同じです。
Posted by あさあさ at 2009年06月14日 02:00
石炭で焚くお風呂、練炭のこたつで育った私ですが、いつガス釜や電気こたつに変わったのかさえおぼろです。
まさに、石炭から石油への高度経済成長期の真っただ中にいたのに、閉山後の炭鉱夫の方々のその後を考えたことはありませんでした。
時代とともに衰退したり消えていく産業はいくつもあり、そこで働いていた人たちはどこかに移行して生活を支えていかなければなりませんよね。
でも、係わりがなければ分からない知りえないことです。

>彼らはどこからやってきて、どこへ消えたのか

去年秋からの製造業での派遣労働者に通じるものがあるような気がします。

>何者でもなかった無名の人々の、確かにあった人生を辿るルポタージュです。

有名な人の人生も興味深いですが、無名の人びとの人生に光を当てるルポルタージュは仰る通り貴重ですね。



「宮本常一」というお名前、今回の祭で初めて目にいたしました。民俗学の本は未読ですが、「忘れられた日本人」も読みたくなりました。
「サンカ」、はるか昔に当時別府大学の荒金先生が長女が通う幼稚園で講演してくださいました。そこで初めて知って興味を持ったことを思い出しました。
Posted by かじ at 2009年06月14日 16:30
 
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