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2009年03月22日

誤字訂正

図書館の本の話です。

巻末の出典一覧に「鬼平半科帖」とありました。
そうですね、
見事な誤字です。

この誤字を赤いボールペンで訂正していました。
高い筆圧に、自分の正しさを誇示するかのようなバツ印と「犯」と「帳」。

「公共心はないのか」「偏狭な人間だ」「誤りを看過することができないのか」
いくらでも責め立てたることは出来るでしょう。
ですがどうにも出来ません。

その本は大活字本だったからです。
十中八九、これを書いたのはお年寄りでしょう。
そう思うと義憤をかざすことさえひどくつまらないことのように感じます。



年を取ると自分がいかに正しいかを示したくなるものです。
アタック25に於いて自分が予測したパネルを取らなかった回答者に対し、

「そこをお取りになったか!!」

と児玉清氏は激するではありませんか。
20数年のアタック25の司会業は、彼に完璧なパネル取りの道程を知らしめ、
完璧が故にその予測に外れる選択をする回答者に、
責めるかのようにこう叫ぶのです。

「なぜ角をとらない!!」


児玉氏をして、こうなのです。
年を取るとはこういうことなのです。
子どもと年寄りは、いつか来た道いつか行く道です。

敬意を持って大切にしたいものです。



ちなみにこれが若いもんの仕業だと分かったら、

「目玉でも腎臓でも2つあるもんは全部1つずつ売って、本買いなおして来いやーー!!」

と大暴れしていたことでしょう。
2つとも売れと言わないだけ優しいと思っていただきたい。


ちなみにこの本、次のページに「阿田佐哲也」とあって、これも赤ペンでグリグリ訂正されていました。
これお年寄りがどうこうっていうより、校正した人がいけんわ。
誰や、アダサって。



児玉清…随筆本「負けるのは美しく」の娘さんが亡くなられたくだりは、涙が止まりません。
抑制の効いた文章を書かれる方です。





  


Posted by あさ at 02:27Comments(2)考える

2009年03月22日

晴読雨読

先週から今週にかけて祖父に持っていった本は
「秀吉と利休」 「次郎長三国志」「バルトの楽園」でした。

「次郎長三国志」が一番好感触だったのがちょっと意外。


「秀吉と利休」は先週、直木賞受賞作の「利休にたずねよ」を読んでから
勢いがついてしまった私につき合わせてしまいました。
「へうげもの」「信長遊び」と利休利休の数日でした。
いやー、「へうげもの」面白いわ。
細川護熙の顔の細川幽斎が強い強い。
忠興ちゃん(大変愛くるしい)が白目むく度爆笑してました。

「秀吉と利休」を持っていったとき、
「利休はどのへんで切腹するのか」と聞かれました。
ちょっ、おじいさん!そこだけ読む気?!
三島由紀夫みたいなこと言うなぁ。
(世の中にはいろんな趣味の人がいる。でもそれが自分と違うものというだけでその人を嫌悪するのは少し違う)


「バルトの楽園」は実話を基にした映画のノベライズです。
徳島にあった、ドイツ人捕虜収容所の話です。
ここの所長が会津出身というだけでアタイ泣いちゃうよ!
これは是非オススメしたい作品です。故に内容は省略。


会津といえば、「ヤッターマン」のボヤッキーさんも会津のご出身だそうです。
もうそれだけでTVに向かって応援しちゃいましたね。
「頑張れ、会津の人!!勝てば官軍だ!!」って。
会津の人にこの応援の仕方もなんですが。

そば職人になるという夢を抱き上京するも、悪の道に進んでしまったボヤッキーさん。

「全国の女子高生を敷き詰めて、その上をゴロゴロ転がる」

という欲望が
会津魂を持つ彼をして、悪の道に走らしむるのですね。
人の欲のなんと悲しいことよ!
しっかししょーがねーなー、ボヤやん。


祖父は充実した(?)読書生活を送ったようですが、
今週の私はメモも取らないような、しょーもない本ばかり読んでいました。
数えたら8冊。
読んでも身にならないなら、時間の無駄だようなぁ。
ちょっと反省。








  


Posted by あさ at 01:26Comments(2)

2009年03月22日

蕎麦

今週末も蕎麦屋でお夕飯です。
もう「私の体は蕎麦で出来てるの」状態です。

私以外に客はなく、ご店主の趣味という60年代の洋楽が流れていました。
知っている曲があったり、なかったり。
古色然とした上がり框はしっかりと拭き清められています。
やっぱり居心地がいいなぁ。

例によって腹ぺこ顔をしていたのか、蕎麦を待ってる間にアイスクリームを頂戴しました。
オヤジ、ありがと。今年最初のアイスだったよ。

ザル一枚でお腹が膨れるので燃費がいいといったらないですね。
茹で上げたばかりの蕎麦は僅かに甘く、
これほど口に残らないたおやかなうま味はありません。

丁寧に引かれたと分かる出汁を贅沢に使ったツユも、
薬味で少し緊張した舌を緩めてくれます。

このように味わっても歌舞伎の「直侍」の直次郎よろしく、すっすっと食べあげてしまいます。
2,3分がいいところかなぁ。
ゆっくり食べたいときはダイ抜きとか、一品料理をお願いすればいいし。
蕎麦と寿司くらいは早くきれいに食べたいものです。

さらにここのお店は使っている器も感じがいい。
池波正太郎もどこかで書いていましたが、
もっさりとした民芸調の蕎麦猪口なんて出されたら、
薬味の葱より先にしなしなになってしまいます。

蕎麦猪口というと、中里恒子の「時雨の記」で
男が20年密かに想っていた女と再会し、

「貴女のそばにいたいから」

という意味を込めて(もちろんそれは言わない)、蕎麦猪口を贈るという描写がありました。
うーん、美しい。
それ以上に心に残っているのが、男が持ってきた海老の天ぷらにレモンをかけて云々というくだり。
所詮色気より食い気か。

(ちなみに私の好きな恋愛小説は、上記の「時雨の記」と川上弘美の「センセイの鞄」です。
「ワタクシはあと何年生きられるのでしょうか」で号泣。「漫画ゴラク」に於いて谷口ゴロでー漫画化されています。
一話以降見ていないのですが、その後続いているのでしょうか?)


最後に出される蕎麦湯も美味しく頂いて、幸せ気分のまま家路に着きました。
次はお銚子を傾けますかね。

神吉拓郎の「たべもの芳名録」で
友人たちと「ひとり蕎麦と独酌」について話しています。

「どこか人を拒否するところがある」
「そうそう、しかも昼酒とくると、おや、というところがあるよね」
「たとえば戦争を降りちゃった兵隊なんかこんな心境でしょう」
「土州浪人、なんのたれがし、故あって…という感じもあるな」
「いいいい、実にいい」

こんな話をしといて、このあとおっさん4、5人雀のように連れ立って、
水でびしょびしょのテーブルと、演歌歌手の色紙が無造作に貼ってある
蕎麦屋に行くんですから、仕様のない話です。

そうか、私は故ある土州浪人に見えるのか。専ら独酌よ。


上記諸々はもちろん、「一杯のかけそば」なんてのもありましたね。
蕎麦は何かと物語を絡め取る食べ物なのでしょう。

粉を練って、切って、茹でる。

この簡素さに精神性が宿るのかも知れません。
シンプルなものにこそ、深遠なる思想が宿るのね!
(酔ってると話がでかくなるなんて、おっさんか私は)


また蕎麦は縁起を踏まえた慣習が多いことからも伺える通り、
五臓六腑の汚れをとる清めの食べ物でもあるそうです。

美味しいやら清められるやら、良いこと尽くめの蕎麦ですが、
唯一の難点。

お腹がすぐ空いちゃう。



うう、今から何か食べるというのか。
  


Posted by あさ at 00:10Comments(2)ごはん