2010年05月05日
大分はいい所です・・・よ?
G.Wも今日で終わりです。
皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか。
今日は昼に思いついて、海鮮丼をテイクアウトして海を見ながら食べました。
爽やかな潮風と美味しいお魚。
こういうことをフラっと出来るから、佐伯はいいところです。
今年はそう遠出が出来ない身だったので、ほとんど佐伯にいましたが
一日だけあまりの天気の良さに我慢が利かなくなって
半日ならよかろうとドライブに行きました。
「我が覇道に地図などいらぬ!!」
と叫んで下調べなどまったくしないで一路竹田へ向かいました。
竹田と言いますとやはり岡城と広瀬神社ですが、
今回は敢えて避けて、知らない道ばかり通ります。
すると見たことのない立派なお寺とお庭が。
なんでも「おたまや公園」と言うそうで、歴代藩主のお墓があるとか。
説明文を何とはなしに読んでいたのですが、
「豊後・・・中川・・・あぁーーーー!!」
ワタクシの年中休業状態の海馬が珍しくフル稼働!
マンガ「へうげもの」のひとコマを思い出しました。
主人公古田織部に、甥の中川秀成が豊後に移封されたことの礼をいうコマです。
あんたか!!
手元にないので何巻か確認出来ませんが、確かにそんな場面がありました。
基本、物を知らんと感動することが多くていいわ。
急に興味が湧いたので早速お庭にお邪魔して名家のお墓を拝見しました。
お墓に繋がる石橋に黒々とした蛇がいて、はわわわわと泡を食いましたが
思いがけないものを見ることが出来てよかったです。
来週図書館に行ったら、中川家に関する本をゴリゴリ読もうと思います。
これに始まり、急遽今年のG・Wのイベントは
「マンガに出た大分に縁のある武将の史跡巡り」にしました。
(歴女・・・イヤな言葉ですな)
聞けばオタクの中にはマンガやアニメの舞台になった地を巡ることを
「聖地巡礼」と呼び習わすとか。
墓ならなおさらでしょう。
記憶の棚を開け閉めして検索にひっかかったのが、
行けば涎のアウトドア専門店、「山渓」付近に「松平忠直公霊廟」の看板の建つお寺。
「シグルイ」に出てましたね!!
イケル!
やはり我が覇道に地図などいらぬな!!
・・・やっぱ地図いる。ほんといる。
(田舎者にとっては)交通量の多い道を、ぐるぐるぐるぐる。
看板は建っていませんでしたがここかなーなんて思いながら大谷派のお寺に入りました。
門前で掃除をしていたお爺さんに
「一伯公(=松平忠直)の縁のお寺はこちらでしょうか」
とお尋ねすると、なんのことはないもう少し先でした。
さらに滝尾に行けば色々あるというのも教えて下さいました。
先月だったか、図書館で渡辺克己さんという方の「忠直卿狂乱始末」をパラ見していたので
偶然にも予習が出来ていたのです。
おかげでお爺さんのお話も大変興味深く拝聴しました。
ちなみになぜ「パラ見」かというと私がよく行く図書館では郷土関係の書籍は一切貸出不可なのです。
おかげで古い本でも状態はとても良いのですが、やはり家で読んだ方が集中できます。
県立図書館なら借りられるかなぁ。
著者のところに「私、一伯公の子孫でございますの」という老婦人が現れたりして、
冒頭から面白かったです。
最後にお仕事中にお邪魔をお詫びして、車に戻ろうとすると
「どっから来たんな」と言う問いに
「佐伯です」とお答えしますと、
「遠くから来たにぃ、こかぁえっと一伯公のもんはねぇんで。わりぃのぉ」
(訳:遠くから来てもらったのに、ここにはそう一伯公に纏わるものわないのだよ。すまないね)
と言われてしまいました。
ごめんなさいぃぃぃぃ。
調べもしないで来て、その上仕事中に邪魔をする私が悪いのにぃぃぃ!!
でもなんとなく定年後に郷土史家になるおじさん達の気持ちがわかりました。
楽しいわこりゃ。
旅をして、人と接して話を聞いて、そこから自分の仮説をたてて、
歴史の新たな解釈を模索するとか。
ところで。
お読みになっている大分県民の方なら、「松平忠直」という名前は知らなくても
「一伯」という呼び名を耳にしたことはあるのではないでしょか。
そうです、
大分銘菓、「一伯」です。
あのお菓子は茶人でもあった忠直公が茶席で用いたものを模したものだそうです。
400年たった今でも大分では卿を偲ぶお菓子が愛されているのですね。
そして。
「一伯」の名を知らなくて、「シグルイ」の「松平忠直」だけをご存じの方には
上記に違和感を感じるかもしれません。
そうです、
忠直公はあれから大分へ移り、名君として民草に愛されていたのです。
というより、「シグルイ」の原案となった菊池寛の「忠直卿行状記」は
かなりフィクションに近いというのが実際のところだそうです。
また忠直が大分に入る原因の一つとなったとも言われる
大阪夏の陣の論功行賞では「へうげもの」でおなじみの天下三肩衝のひとつ、
「初花」が家康から忠直に下賜されています。
数多の首級を上げながら、褒美は肩衝一つということで
忠直はこれを地に叩きつけたという逸話もあります。
単行本ではまだ秀吉が朝鮮出兵しているので、
かなり先の話ですが、「へうげもの」好きの私にしてみたら今から楽しみで仕方がありません。
しかし私のまわりに「へうげもの」を読んでいる人はいない・・・。
絵柄がいかんのか?! 萌え絵じゃなきゃいかんのか?!
忠興きゅんはカワイイじゃないか!!
この「へうげもの」はその話のおもしろさもさることながら
登場人物が後世に残された肖像画にそっくりということでも知られています。
たったひとコマしか出ませんが、津久見にお墓がある大友宗麟もそっくりです。
(なぜか加藤清正は具志堅用高にそっくりで「ちょっちゅね ちょっちゅね」と言う)
忠直が出るのは楽しみなんですけど、あの顔のままじゃこわいなぁと少し不安です。
そんな忠直公の霊廟を見に行きましたら、確かに記憶通りにお寺に看板が立っていました。
ただ隣の建物が改築の為、足場を組んでいて看板が見えなかったようです。
お寺は幼稚園も擁していて、境内は霊廟、遊具、お墓、とカオスでした。
お寺とはいえ、幼稚園に部外者が入るのは親御さんたちの不安を招きかねないので
すぐ見てすぐ帰りました。
ワタクシ、子供みたら真剣にかまいますからね。 精神ステージが同じなので。
昨今の事件を鑑みれば、保護者の皆さんからすれば、私のようなのも危険因子でしょう。
帰りに寄った、港のおされカフェでも窓の外で遊ぶ子どもと目が合う度手を振って、
終いにはじゃんけんを10回ぐらいするし。
奴はチョキばっかり出すので楽勝でした。
2回ぐらい勝ったと思う。
こうして私のG・Wは地図を持たず、奇行が多く、ひとんちの墓見て回って終わりました。
そしてどうしても一つ。
何気に書かずに済ませましたが、松平忠直は大分に「配流」扱いです。つまり大分は「流刑地」です。
中川家でも 秀吉から「淡路」「宇和島」「豊後」のうち、いずれかを選べと言われ
実際の倍の石高が見込めることと、尾平、木浦などの優れた鉱山があったことから秀成は豊後を選びますが、
一族郎党家臣団に「なんであんな遠いド田舎に!!」と反発があったそうです。
言っておきたいことがある。
大 分 は 今も昔も い い 所 デ ス ヨ !!
え、うん。たぶん。
皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか。
今日は昼に思いついて、海鮮丼をテイクアウトして海を見ながら食べました。
爽やかな潮風と美味しいお魚。
こういうことをフラっと出来るから、佐伯はいいところです。
今年はそう遠出が出来ない身だったので、ほとんど佐伯にいましたが
一日だけあまりの天気の良さに我慢が利かなくなって
半日ならよかろうとドライブに行きました。
「我が覇道に地図などいらぬ!!」
と叫んで下調べなどまったくしないで一路竹田へ向かいました。
竹田と言いますとやはり岡城と広瀬神社ですが、
今回は敢えて避けて、知らない道ばかり通ります。
すると見たことのない立派なお寺とお庭が。
なんでも「おたまや公園」と言うそうで、歴代藩主のお墓があるとか。
説明文を何とはなしに読んでいたのですが、
「豊後・・・中川・・・あぁーーーー!!」
ワタクシの年中休業状態の海馬が珍しくフル稼働!
マンガ「へうげもの」のひとコマを思い出しました。
主人公古田織部に、甥の中川秀成が豊後に移封されたことの礼をいうコマです。
あんたか!!
手元にないので何巻か確認出来ませんが、確かにそんな場面がありました。
基本、物を知らんと感動することが多くていいわ。
急に興味が湧いたので早速お庭にお邪魔して名家のお墓を拝見しました。
お墓に繋がる石橋に黒々とした蛇がいて、はわわわわと泡を食いましたが
思いがけないものを見ることが出来てよかったです。
来週図書館に行ったら、中川家に関する本をゴリゴリ読もうと思います。
これに始まり、急遽今年のG・Wのイベントは
「マンガに出た大分に縁のある武将の史跡巡り」にしました。
(歴女・・・イヤな言葉ですな)
聞けばオタクの中にはマンガやアニメの舞台になった地を巡ることを
「聖地巡礼」と呼び習わすとか。
墓ならなおさらでしょう。
記憶の棚を開け閉めして検索にひっかかったのが、
行けば涎のアウトドア専門店、「山渓」付近に「松平忠直公霊廟」の看板の建つお寺。
「シグルイ」に出てましたね!!
イケル!
やはり我が覇道に地図などいらぬな!!
・・・やっぱ地図いる。ほんといる。
(田舎者にとっては)交通量の多い道を、ぐるぐるぐるぐる。
看板は建っていませんでしたがここかなーなんて思いながら大谷派のお寺に入りました。
門前で掃除をしていたお爺さんに
「一伯公(=松平忠直)の縁のお寺はこちらでしょうか」
とお尋ねすると、なんのことはないもう少し先でした。
さらに滝尾に行けば色々あるというのも教えて下さいました。
先月だったか、図書館で渡辺克己さんという方の「忠直卿狂乱始末」をパラ見していたので
偶然にも予習が出来ていたのです。
おかげでお爺さんのお話も大変興味深く拝聴しました。
ちなみになぜ「パラ見」かというと私がよく行く図書館では郷土関係の書籍は一切貸出不可なのです。
おかげで古い本でも状態はとても良いのですが、やはり家で読んだ方が集中できます。
県立図書館なら借りられるかなぁ。
著者のところに「私、一伯公の子孫でございますの」という老婦人が現れたりして、
冒頭から面白かったです。
最後にお仕事中にお邪魔をお詫びして、車に戻ろうとすると
「どっから来たんな」と言う問いに
「佐伯です」とお答えしますと、
「遠くから来たにぃ、こかぁえっと一伯公のもんはねぇんで。わりぃのぉ」
(訳:遠くから来てもらったのに、ここにはそう一伯公に纏わるものわないのだよ。すまないね)
と言われてしまいました。
ごめんなさいぃぃぃぃ。
調べもしないで来て、その上仕事中に邪魔をする私が悪いのにぃぃぃ!!
でもなんとなく定年後に郷土史家になるおじさん達の気持ちがわかりました。
楽しいわこりゃ。
旅をして、人と接して話を聞いて、そこから自分の仮説をたてて、
歴史の新たな解釈を模索するとか。
ところで。
お読みになっている大分県民の方なら、「松平忠直」という名前は知らなくても
「一伯」という呼び名を耳にしたことはあるのではないでしょか。
そうです、
大分銘菓、「一伯」です。
あのお菓子は茶人でもあった忠直公が茶席で用いたものを模したものだそうです。
400年たった今でも大分では卿を偲ぶお菓子が愛されているのですね。
そして。
「一伯」の名を知らなくて、「シグルイ」の「松平忠直」だけをご存じの方には
上記に違和感を感じるかもしれません。
そうです、
忠直公はあれから大分へ移り、名君として民草に愛されていたのです。
というより、「シグルイ」の原案となった菊池寛の「忠直卿行状記」は
かなりフィクションに近いというのが実際のところだそうです。
また忠直が大分に入る原因の一つとなったとも言われる
大阪夏の陣の論功行賞では「へうげもの」でおなじみの天下三肩衝のひとつ、
「初花」が家康から忠直に下賜されています。
数多の首級を上げながら、褒美は肩衝一つということで
忠直はこれを地に叩きつけたという逸話もあります。
単行本ではまだ秀吉が朝鮮出兵しているので、
かなり先の話ですが、「へうげもの」好きの私にしてみたら今から楽しみで仕方がありません。
しかし私のまわりに「へうげもの」を読んでいる人はいない・・・。
絵柄がいかんのか?! 萌え絵じゃなきゃいかんのか?!
忠興きゅんはカワイイじゃないか!!
この「へうげもの」はその話のおもしろさもさることながら
登場人物が後世に残された肖像画にそっくりということでも知られています。
たったひとコマしか出ませんが、津久見にお墓がある大友宗麟もそっくりです。
(なぜか加藤清正は具志堅用高にそっくりで「ちょっちゅね ちょっちゅね」と言う)
忠直が出るのは楽しみなんですけど、あの顔のままじゃこわいなぁと少し不安です。
そんな忠直公の霊廟を見に行きましたら、確かに記憶通りにお寺に看板が立っていました。
ただ隣の建物が改築の為、足場を組んでいて看板が見えなかったようです。
お寺は幼稚園も擁していて、境内は霊廟、遊具、お墓、とカオスでした。
お寺とはいえ、幼稚園に部外者が入るのは親御さんたちの不安を招きかねないので
すぐ見てすぐ帰りました。
ワタクシ、子供みたら真剣にかまいますからね。 精神ステージが同じなので。
昨今の事件を鑑みれば、保護者の皆さんからすれば、私のようなのも危険因子でしょう。
帰りに寄った、港のおされカフェでも窓の外で遊ぶ子どもと目が合う度手を振って、
終いにはじゃんけんを10回ぐらいするし。
奴はチョキばっかり出すので楽勝でした。
2回ぐらい勝ったと思う。
こうして私のG・Wは地図を持たず、奇行が多く、ひとんちの墓見て回って終わりました。
そしてどうしても一つ。
何気に書かずに済ませましたが、松平忠直は大分に「配流」扱いです。つまり大分は「流刑地」です。
中川家でも 秀吉から「淡路」「宇和島」「豊後」のうち、いずれかを選べと言われ
実際の倍の石高が見込めることと、尾平、木浦などの優れた鉱山があったことから秀成は豊後を選びますが、
一族郎党家臣団に「なんであんな遠いド田舎に!!」と反発があったそうです。
言っておきたいことがある。
大 分 は 今も昔も い い 所 デ ス ヨ !!
え、うん。たぶん。
Posted by あさ at 19:46│Comments(2)
│外出
この記事へのコメント
あさ様
好天に恵まれた(何気なく使いますが、良い表現ですね)G.Wを史跡巡りで楽しく過ごされたご様子、うれしく拝読しました。
山渓、幼稚園、ああアノお寺ですね。
車窓から見たことがありますよ。そのような由緒があることは知りませんでした。
「一伯」というお菓子以外、知らないことばかりでした。
教えてくださってありがとうございます。
大分は、海・山・食に恵まれて、歴史もあって、正に「豊の国」本当にいい所だと思います!
好天に恵まれた(何気なく使いますが、良い表現ですね)G.Wを史跡巡りで楽しく過ごされたご様子、うれしく拝読しました。
山渓、幼稚園、ああアノお寺ですね。
車窓から見たことがありますよ。そのような由緒があることは知りませんでした。
「一伯」というお菓子以外、知らないことばかりでした。
教えてくださってありがとうございます。
大分は、海・山・食に恵まれて、歴史もあって、正に「豊の国」本当にいい所だと思います!
Posted by ゆうひ at 2010年05月05日 23:36
ゆうひ様
好天同様、「潮干狩り」という言葉もセンスのある言葉だと思います。
「教えて下さって…」と言われるのが申し訳ないくらいマンガのことばっかり書いてますね(笑)
ここ数日電子図書について考えているのですが、紙媒体だからこそ出来るマンガ表現も多々あるので、
先端技術の向上がこれまでの文化を駆逐しかねない状況というのを看過するのは、マンガと小説に優劣を求めることと同様に、
あまり品のいいことではないなぁと思います。
おっと脱線。
「豊後風土記」よろしく、大分は天の瑞物、土の豊草なる土地ですね!!
好天同様、「潮干狩り」という言葉もセンスのある言葉だと思います。
「教えて下さって…」と言われるのが申し訳ないくらいマンガのことばっかり書いてますね(笑)
ここ数日電子図書について考えているのですが、紙媒体だからこそ出来るマンガ表現も多々あるので、
先端技術の向上がこれまでの文化を駆逐しかねない状況というのを看過するのは、マンガと小説に優劣を求めることと同様に、
あまり品のいいことではないなぁと思います。
おっと脱線。
「豊後風土記」よろしく、大分は天の瑞物、土の豊草なる土地ですね!!
Posted by あさ
at 2010年05月09日 22:04
